どうも!ノノマスです!
突然ですが、主体性を持つということはどういうことだと思いますか?
積極的に行動すること?自分発信で行動すること?
様々な意見があると思います。
こう考えてみると主体性とは結構曖昧な言葉なのかな〜と思ったりもします。
私の意見としては、自分の意思で選択することだと思います。
今回はこの主体性について解説するとともに、日常生活でありがちな主体性を失っている状態から脱する方法をご紹介します。
主体性を失うということ
では、具体的に主体性を失っている状態とはどんな場面でしょうか?
私の友人に、転職したくても勇気が持てず、仕事の愚痴を漏らしまくる人がいます。
例えば
「プロジェクトリーダーをやらされている」
「高いレベルを強要されている」
「仕事が忙しくて大変」
と常に言っています。
高いレベルを求められているのは事実かもしれませんが、やらされているというのは本当にそうでしょうか?
家族が人質に取られていたり、何かを強要されたり、かつての奴隷貿易のようにどこかから連れてこられたりしたのでしょうか。
そんなことはないのではないでしょうか。
本当に強要されていたとしたら大問題です。それこそ、早く警察に行ったほうが良いです。
私は、この友人をディスっているわけではなく、主体的に行動を選択して欲しいと思っています。
自らの意思決定でそこにいる
忘れてはならないのは、大体の場合は自分で意思決定をしてその場にいるということです。
例えば、仕事を辞めたいのであれば転職することもできます。
人間関係がめんどくさければ、避けることもできるでしょう。
いずれにせよ、自分で意思決定をしているということです。
「だから全責任は自分自身にある!」というわけでもないです。
良い悪いというつもりもありません。
ここでお伝えしたいのは、自分の人生は主体的に決めることができるということです。
誰もが自分の人生を主体的に決めることができるのですが、そのことを忘れ、あたかも誰かに強制されているかの如く振る舞っているのです。
これは非常に不思議な現象ですよね。
理由としては非常に単純で、そのほうが楽に自分を守ることができるからです。
誰かのせいにしたり、環境のせいにしてしまうことほど、簡単なことはありません。
もちろん、自分の努力次第で変えることのできないことの方が多いと思います。
しかし、人生の選択権は常にあなた自身にあります。
常に選択してこなかった私
私自身の経験ですが、かつては自分を不幸の中心に置いていました。
それこそ、先程の友人のように、仕事をすることを強いられているとか、この環境にいることを強いられているとか考えていました笑
そう考えることは自由なのですが、なにも良いことはなかったです。
なぜなら、自分で考えて人生を選択することを完全に放棄してしまっていたからです。
せっかく自らの人生を選択できる権利を有しながら、それを完全になきものとして扱っていました。ですが、1度の目転職の際に自分で意思決定を行なって人生を選択するに至りました。
その後、紆余曲折はありましたが、今ではずいぶん、自分の人生の選択に自信を持っています。
どうすれば脱出できるのか
まずは、変わる勇気を持つことではないでしょうか。
自分の変化に寛容になることで、他人の価値観や意見に惑わされず、自分の意見を持つことができます。
もちろん、人生哲学や自分の目標なども必要です。
大切なことは、年収や役職・出世など、本当に自分が考え抜いて大切だと思った価値観かどうか考えることです。
考えた上で、年収が大事!とか出世こそ使命!と思うのなら問題ありません。
なお、今まで出会ってきた人の中で、年収を本当の価値観に置いている人はほぼいませんでした。大体の人は、年収が〜とか昇給が〜と話題にしますが、他人と比較して優位に立ちたいだけで、本当の価値観ではないのかな?とか思ってます。
今、あなたが固執していること(執着していること)が本当にあなたにとって大切なことのなのか?という視点で一度見直してみる時間が必要だと思います。
価値観マップなど見直す方法はいくらでも存在します。
また、その方法を解説している書籍やYouTubeの動画はたくさんありますので、興味があれば一度調べてみてください。
最後に
先日別の友人が私に、「〜さんは定時に帰れて給料もー万円ですごく羨ましいと思う」と述べました。
私は、友人に「それって本当に自分の価値観?」と確認したのですが、
友人は「そう!だって羨ましいじゃん」と言っていました。
ですが、その雰囲気はそんなに羨ましくなさそうな感じがしていました。
そもそも他人を羨むこと自体全く意味がないと私は思っています。
それは、次回以降のお話にしたいと思いますが、自分の価値観に気がつくということも非常に大切だと思いました。